『PORTRAIT』インタビュー Vol.4 弦牧潔

「莫大な遺産と思う反面、呪縛だとも感じる」


弦牧潔

7月某日、台風の影響で私の最寄り駅に使っているJR線は運休。梅田での演奏前にお話しをうかがうという約束をしていたが、こりゃ、演奏自体も中止されるのかなと思いきや、決行されるとのこと。ならばと、当日は連絡を密にし、一駅向こうの地下鉄線で駆け付けるも、いざインタビューを開始してみたら、「うーん、(音楽について)言語化したくないんですよね。答えを出したくないというか、じわじわ仲良くなりたいんですよ」とのこと。がびーん。ならば!ということで、弦牧さんと縁が深い2つのお店についてお話をうかがってみました。他のメンバーと少し毛色が違うインタビューとなりましたが、弦牧さんの思いと永久保存版ともいうべき。現在につながる関西のジャズ史の一端がみえる話が聞けました。

新作について

――新作を聴いて、ドラムスがよりストレートな演奏だなと感じました。前作までと違って、弦牧さんのトレードマークといってもいいパーカッシヴな演奏や独特なリズム・パターンのドラムスが聴かれませんでしたが?

ああ、あれはそのレコーディングしていたときの気持ちがそうだった、ということなんです。レコーディングが一週間後にずれていたら、また違う演奏になっていたと思います。

――弦牧さんといえば、老舗ジャズ・クラブ、<SUB>のイメージが強いですが、そういったパーカッシヴな演奏というのもそちらで培われたものでしょうか?

いや、あそこではふつうに叩いていたんですが、<SUB>の外で、いろんな人とも共演するようになってから、ああいう演奏もとりいれていった感じです。


滝見小路で行われたライブにて

弦牧さんとSUB

――そもそも弦牧さんと<SUB>との出会いはどういうものだったんでしょうか? 

初めて行ったのは、横山静子さん(pf)、田井中福司さん(ds)、西山満さん(b、<SUB>の前オーナー)のトリオを聞きに行った時です。大学の先輩に勧められて。2000年の夏だったと思います。 その後セッションに頻繁に通うようになります。「あんたえぇドラムやな。名前何ていうんや?」ってのが10回くらいありました。 バイトの人たちが辞めるタイミングが重なった時に谷山和恵さんが西山さんに新たなバイトにどうですか?と紹介してくれて、1度蹴られるんですが1年後くらいから働き始めました。 「西山さんと関大」って言うと、竹田一彦さん(gt)も関大で…とか言い出すと無駄に長くなってしまうのでやめときます(笑)ぼくと比較的年齢が近くて活動してるのは横尾昌二郎(tp)、武藤浩司(as)、山本学(b)ですかね。誰か忘れてたらごめんなさい。 

――やっぱり、弦牧さんにとって西山さんの存在は大きいですよね。

ぼくらと西山さんの関係性は一言で言うとG.S.B.(弦牧さんを中心に現在も活動しているバンド)ですよね。Grand Son Bandの略で、僕らは西山さんの孫なんです。もちろん血縁では無くて音楽的にです。 西山さんは固定のメンバーを持つバンドも、お店に集まる若人みんなの総称も、G.S.B.呼んでました。 孫バンドの前身のバンドが2つくらいあって、その2つ目のバンドにいた西野類が就職で抜ける時に横尾くんを連れていきました。 西野くんも関大Jazz研で、今は会社員をやってます。が、ものすごいアルトを吹きます。前身バンドはこんな感じかな。

 ※G.S.B.の前身となったバンド 

1.宮脇知子vo、西山満vc、広瀬未来tp、吉本章紘ts、西野類as、須藤雅彦gt、大塚亮介pf、宮上啓仁b、弦牧潔ds @<バー・トニーワン>(園田)

2.宮脇、西山、須藤、西野、弦牧 @<ササラ>(谷4)

――そう言えば、以前にも弦牧さんにうかがったことがある方ですね。そして、今や関西の一線で活動されているミュージシャンのお名前が次々と出てきますが!

孫バンドが始まった時は横尾くんと奥村美里(pf)、西山さん、ぼくの4人だったと思うのですが、武藤くんが飛び入りにきた時からメンバーになりました。その後、岩本敦(tp)、早川惟雅(as)も同様に飛び入りからメンバーになったと記憶してます。 山本は、その頃誰かがバイトを辞めるので代わりに入り始めたのがきっかけだったと思います。 もひとつ余談ですけど、あのお店でぼくらにとって欠かせないのが第2火曜の宮さんの日です。 宮哲之さん(ts)と井上幸祐さん(b)のデュオのライヴで、宮さんの好意でぼくとか須藤雅彦(gt)、宮上啓仁(b)が飛び入りをさせて貰ってたのが、いつの間にかこの日は終わってから宮さんとセッション出来るぞ!って上記のG.S.B.な子らや、同年代の子たちが集まって朝までワイワイやってました。あの時間が愛おしいですね。


Cafe萬屋宗兵衛で行われた今西セクステットのライブにて

――そのSUBは西山満さんから、同じくミュージシャンでもある長谷川朗さん(ts)に店主が代わられました。今でも弦牧さんにとってあちらは特別な店になるのでしょうか?

考えたことも無かったんですが、改めて考えてみると、あの店が特別だったのは一緒にいた人たちと共有した時間だったんだなと思います。バイトしてた頃に、ここは子宮だから早く出て行かなければいけない、って考えたりもしていたんですけど、ぼくが依存していた部分と西山さんが(ぼくがいると)便利だったりとかで離れられなかったですね。10年目に辞めるぞ!って思ってたら西山さん、死んでしまったのでしばらくへその緒を引きずってい ました。 西山さんからもらったものは莫大な遺産だとも思う反面、呪縛だと感じるときもあります。
話が逸れまくりましたね。 朗さんの代になってSUBはぼくの特別な場所ではなくなりましたが、沢山の新しい若い人に取っての特別な場所になっていると思います。気軽な値段で濃ゆいジャズが楽しめるのでぜひ一度行ってみて下さい。
※SUBは10月1日より1週間強の休業後、 10月10日の朝10時にオープンを予定

 幻(?)の弦牧トリオ

――以前、私も客席にいましたが、アメリカ村の三津寺会館で弦牧トリオ(弦牧、當村、山本)が演奏しましたよね。そのときのお店、<えん>はどちらかと言えば、関西ブルースやフォーク、映画関係者などが集まるお店として知られていますが、どういう経緯で演奏されることになったのでしょうか?

しらきさんはめっちゃ<えん>で演奏させたいんですね(笑)あちらには西山さんに連れられてよく飲みに行ってたんですよ。バイト終わりに谷町9丁目からアメ村までタクシーに乗って行ってました。西山さん歩くん嫌いなんですよ。それで、ライヴもたまにさせてもろたり。 西山さん亡くなってしばらく後にお店に顔を出したら、ママのひろ子さんがまたうちでもジャズやろうや!言うてくれたんです。それで、ちょうどそのときに、當村くんと何も決めずに何かしたいなっていうのも、頭にあったんです。その2つが繋がってやることになりました。 今はお酒をやめてしまったので足が遠のいてましたけど、また顔出してきますねー。

――期待してます!

 
横尾昌二郎氏と弦牧氏

<後日談>

スカイビルの花見小路特別ステージでのライヴの合間に話をうかがいました。こちらは弦牧さんが学生時代にバイトをしていたトンカツ屋さんがあるそうで、当日はそういった縁で決まったステージだとか。そういうのもなんだか弦牧さんの人柄を表しているような気がしました。

しらきたかね